Interview

2017年10月24日

19歳。進学よりも就職。どん底の人生を大逆転させたプログラミングの力

今回インタビューした河野湖々さんは、今年3月に高校を卒業したばかり。まだ何者にもなっていない、まっさらな彼女が選んだ進路は、進学ではなく就職でした。

現在、株式会社マネーフォワードのエンジニアとして、サービス基幹の開発に従事する河野さん。屈託のない表情で話す姿は、イマドキの女の子そのもの。でも、プログラミングの話題になれば、その瞳に強い意志が宿り、「大学で勉強するよりも、ずっとコードを書いていたいと思いました」と話します。その腕は確かなもので、彼女が面接に来た日のことをマネーフォワードのメンバーは、「優秀な高校生がエンジニアを希望していると、社内が沸き立ちました」と話しています。

しかし、ほんの2年前までは、本の編集者を目標に大学進学を志望していたのだとか。その目標は、いつ、何をきっかけに、どのように移り変わったのでしょう。

現在に至るまでのストーリーには、彼女がくだしたたくさんの決断と何にも揺るがない熱い想いが詰まっていました。

株式会社マネーフォワード

開発推進本部 河野湖々

早稲田実業高校入学後、7ヶ月の入院をきっかけにバンタン プログラマーズ・ハイレベル・ハイスクールに転学。プログラミングを学んだのち、大学進学ではなく就職を希望し、 2017年4月に、株式会社マネーフォワードに入社。現在サービス基盤開発に従事する。

両親はIT企業勤務。子どものころからパソコンは身近な存在

 ーまずはプログラミングのルーツをたどってみました。平成10年生まれの河野さん。物心がついたころには、ITはずいぶん普及していたと推測できますが……。

初めてパソコンに触れたのは、小学校1、2年生のころ。当時好きだったポケモンのウェブサイトに行き、ミニゲームで遊んでいました。両親がIT系の会社に勤めていることもあり、「これからは、パソコンを使って仕事をするのが当たり前になる」と、パソコンには積極的に触らせてくれました。そのうち学校の課題もパソコンでするようになり、周りの友だちよりもパソコンが得意だと自分で思うようになっていました。

パソコンが常に身近にあるので、プログラマーやエンジニアの仕事にも自然と関心が向くようになりました。学校の選択授業で学んだり、『Life is Tech!』のキャンプに参加したりして、アプリケーションをつくる楽しさを体感しましたが、わたしには縁のない職業だと思い込んでいましたね。
むしろそのころは、本の編集者になる夢がありました。ロールモデルは友人のお母さん。担当する作家を文学賞にどんどん導くスーパーウーマンで、わたしの憧れそのものでした。夢の実現のためには、その方と同じ進路を歩むのが最適と思ったわたしは、彼女が卒業した大学に内部進学できる早稲田実業高校に進学しました。

 

 留年か、転校か。目標が閉ざされたそのとき、新しい扉が開いた

 ー友人のお母さんを目標に、みごと難関校への切符を手にした河野さん。高校生活は順風満帆に思えました。しかし、予想もしていない出来事に見舞われます。

高1の終わりから7か月、入院生活を余儀なくされたんです。そのため出席日数が足りず、学校から留年と転学のどちらかを選択するように迫られました。死に物狂いに勉強してやっとの思いで入った高校だったので、ものすごくショックで。
でも、留年は嫌だったんです。友だちには置いていかれ、後輩とは同じ学年になっちゃう。じゃあ、転学したらどうなるんだろうって調べていたら、インターネット上の授業がメインの高校を見つけました。そこは、パティシエやデザイナー、声優など専門的な勉強ができるカリキュラムがあり、そのなかの一つにわたしが進んだプログラミングを学べる、バンタン プログラマーズ・ハイレベル・ハイスクールがありました。

ウェブサイトに躍る、『1年間で即戦力となるプログラマーに育て上げます』という文字を見たときに、プログラマーに憧れていた子どものころの記憶が一気に呼び起こされ、頭のなかを駆け巡りました。そのときに思ったんです。編集者になる夢は、今となっては難しいのかもしれない。でも、プログラマーはこれからの頑張り次第で目指せるんじゃないかって。
その時のわたしは人生どん底。これ以上落ちることは無いのだから、この学校にかけてみたい気持ちでいっぱいになりました。両親は当初、学費面で難色を示していましたが、毎日のように「絶対に行きたい。これで人生逆転させたい」ってしつこくお願いしていたら、最後は根負けしてくれました(笑)。「人生逆転させたいのなら、してみなよ」って。両親もプログラミングを習得すれば就職にも有利になると、学ぶことには賛成していたので、それが1年で身に付くのならという思いがあったようです。

 

 

 

就職希望の娘 VS 進学希望の両親。親子の大バトルが勃発!

ーこうしてリスタートを切った河野さん。インターネットで高校の授業を受けつつ、9時から5時まではプログラミングを学ぶため専門学校に通う生活が始まりました。この学びは、『これからの人生で役に立つ』という生半可なものではなく、『わたしの人生にはこれしかない』と思えるくらい実践的かつ衝撃的だったそうです。

授業は新鮮でした。「これらの技術を使って食べていくんだ」「自分の書くコードが社会に出たら、そのまま武器になるんだ」って自然と思えて、あっという間に魅了されました。“東大卒でも就職難”という記事を見かけるなか、数学の点数が少し上がったくらいで、社会でどう役に立つんだろうという漠然とした不安から一気に解放されたような感覚です(笑)。

そして、夏が来るころには、大学に進学するよりもコードを書いていたいと思うようになっていました。あれだけ憧れていた大学に魅力を感じなくなっていたんです。実のところ、転学時はプログラミングを学ぶことを、『プログラミングのできる文系の人』のように、自分への付加価値にしたいくらいに考えていたんです。だから、自分がプログラミング一色に染まるとは思ってもいませんでした。

 

ーご両親も同様に、 “娘がプログラミング一色に染まるとは思ってもいなかった”そう。ご両親の希望はあくまでも大学進学。しかし、その思いとは裏腹に、河野さんはプログラミングにどんどんのめり込んでいきます。

そんなわたしに対し両親は怒り心頭で、「何やってんの!」って、毎日怒られていました。わたしの学んでいることが自分たちの理解をどんどん超えていくことに戸惑っていたようです。やがて「何がそんなに面白いの?」「何の役に立つの?」と言いはじめ、わたしもそれがストレスに……。秋になると両親とはまともな話ができなくなっていました。

そのころ、先生の紹介でアルバイトを始めたんです。そこで、自分が書いたコードがリリースされて必要とする人の役に立っている、ひと月後にはお給料が振り込まれるという体験をしました。「ああ、すごい。授業で学んでいることは、こうやって帰着するんだ」。エンジニアの仕事が腹落ちした瞬間でした。そこで気づいたんです。この仕事ができるようになれば、親の顔色をうかがわなくても一人で生活できるんじゃないかって。

 

 

ー河野さんの気持ちは、いよいよ就職へと向かっていきます。親子の気持ちは平行線をたどったまま、最終的な折り合いはどうやってつけたのでしょう。

先生が間に入ってくれたこともあり、ヒートアップした状況は落ち着いたのですが、解決の糸口は見つからずじまい。最後は自分の気持ちを押しとおしました。就職活動を始めたんです。
そして、内定をいただいたので印鑑を押してほしいと両親に書類を差し出しました。二人の心境は諦めに近かったのかもしれません。最終的には判をついてくれました。たった1年のうちに我が娘が知らないところにいってしまったような思いだったのかもしれません。当事者である、わたし自身も自分の変化を驚いているので、両親はなおさらだと思います。

 

 記念受験のつもりが内定獲得。憧れが現実に変わった

 ーここで時間を少し巻き戻し、河野さんの就職活動の話を。ごまんとIT企業のあるなか、河野さんはマネーフォワードとどのように出合ったのでしょう。

授業で耳にしたのが初めてだったと思います。Rubyを扱う会社として日本で五指に入ること、『フルタイムRubyコミッター』として、卜部昌平さん(自社に限らず様々なWEBサービスを支えるRubyの開発支援を積極的に行うことを目的に設けられた職種。卜部氏は、大学在学中の2008年よりRubyの開発に参加しており、現在は『日本Rubyの会』の監事を務めている)が所属している会社ということを最初に聞きました。
その後、バイトで得たお金を管理できるアプリを探していて見つけたのが、マネーフォワード。社名と事業内容が結びついた瞬間でした。とはいえ、技術力の高い会社という意識が大前提にあるものだから、わたしにとってマネーフォワードは雲の上の存在。就職するなんて、とてもじゃないけれど無理だと思っていました。
でも、そのあとに『ウォンテッドリー』で新卒を対象としたカジュアル面接を開いているのを見つけて。それで、記念受験のつもりでクリックしたら、『ぜひ一度ご来社ください』って返信があったんです。「え? あの卜部さんが働いている会社に行けるの?」「卜部さんが歩いた廊下を歩けるの?」とか、そんなウキウキした気持ちで出かけたのを覚えています(笑)。でも、記念って思えるほどの強い思いは選考で有利だったのかも。入社できると思ってもいないから、飾ることなく自分の熱意を伝えることができました。
その後、正式に面接の案内が届き、社長面接を経て内定をいただきました。

 

仕事は受け身ではなく、積極的にチャレンジする姿勢が大事と気づいた

 ーこうしてマネーフォワードの新卒第一期生とした入社した河野さん。待望の社会人生活を体験し、『働く』ということを改めてどう捉えているのでしょう。

自分から手を挙げない限りチャレンジできる仕事に出合えないことを実感しています。学生のころは自覚もないままにずいぶん受け身でいたことに気づきました。課題も宿題も、先生がわたしの習熟度に合ったものを出しくれていたんだなって。
でも、仕事では自分で自分のスキルを見極め、任せてもらえそうな業務や難度が高くてもチャレンジしたい業務を上司に相談、提案して、都度ゴーサインを獲得する必要があると感じています。これは大きな発見でした。それから、授業の流れがそのまま仕事に活かされている点は、学校の先生に感謝したいです。
バンタン プログラマーズ・ハイレベル・ハイスクールでは、先生に指図されるがままコードを書いて、提出して、チェックを受けるということを繰り返していましたが、仕事の流れも基本は同じ。指示があり、成果物を出して、フィードバックを得る。先生は授業の全てが社会で通用するようにカリキュラムを組んでいたんですね。とてもありがたいことと思っています。

ーかたや、若さゆえのもどかしさを感じたりはしないのでしょうか。

経験年数や知識があればと思うときもありますが、若いということは、これからいくらでも経験が積めると前向きに思えます。だから臆することなく、どんどん挑戦したいです。むしろ、もどかしさを感じているのは上司のほうかもしれません。新卒の定期採用は初めてのことだし、わたしは社内で3人しかいない女性のエンジニア。しかも19歳なのでお酒の席にも誘えない(笑)。もどかしいというより、戸惑っているかもしれませんね。

 

ーそう話す河野さんは、今が楽しくて仕方がないとでもいうように、はつらつとしています。その表情が語るとおり、プログラミングは、河野さんの人生に起死回生のチャンスを与えただけでなく、今もなおワクワクを届ける存在のよう。改めてプログラミングに対する気持ちを聞きました。

言葉通り、人生を救われました。本当に逆転が大成功したと思っています。だから、今度はわたしがプログラミングに恩返しをしていく番。出来る限り長くコードを書き、世の中に質の高いサービスを提供し続けることで、プログラミングやITに貢献していきたいと思います。生涯現役を目指したいですね。

 

 

 

自分の将来に迷いのない河野さんの姿は、つい漠然と働いてしまいがちの日々に、「なぜ働くのか」という原理原則を問いかけてくれているように思いました。
お金のため、世間体のため、夢の実現のため。働く理由は人それぞれ。きっとどれもが正しい答えのはずですが、河野さんのような“好きを究めたい”という純真な気持ちは、働くことを豊かにしていくうえで根底になくてはならない大切なことではないでしょうか。

取材・文香川 妙美

1980年、山口県出身。音楽業界での就業を経て、2005年より自動車関連企業で広報に従事。2013年、フリーランスに転身。カフェガイドの企画・執筆を振り出しに、現在までライターとして活動。学習情報メディア、広告系メディア等で執筆するほか、BtoBライターとして各種制作物を手掛ける。スタートアップを対象に広報コンサルタントとしても活動中。