IT仮面vol,1 自分を変える1歩はまず自分〜フリークアウト安倉さんの中途半端野郎から海外子会社代表への道(前編)

 

IT業界で活躍するあの人の仕事感を人生観や意外な一面を探るこのIT仮面シリーズ、第1回目は、フリークアウトインドネシア支社代表取締役・安倉知弘さんにお話を伺いました。

安倉さんは、京都大学卒業後、リクルート、DeNAを経て、フリークアウト に入社。人事組織立ち上げ後、インドネシア支社代表に大抜擢という憧れのキャリアの持ち主。そんな大活躍の安倉さんは、意外にも、“夢を持てない中途半端な人生”に悩んでいた長い期間があったそうです。

 

自分を変えるため、初めの1歩を自ら歩みつづけてきた安倉さんの人生をご紹介します!

 

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(プロフィール)

株式会社フリークアウト・インドネシア支社代表取締役 安倉知弘(30)

2008年に京都大学を卒業後、株式会社リクルートHRカンパニー(現リクルートキャリア)に入社。関西の中小企業100社以上の採用コンサルティング営業を経験後、2011年に株式会社ディー・エヌ・エーへ転職。ビジネス開発、国内最大手開発会社とのアライアンスや、複数プロジェクトのオーナーを経験後、2013年6月に株式会社フリークアウトにジョイン。人事マネジャーとして、新卒中途採用、制度、育成など主に新規施策開発をミッションとしつつ、スマホ局の立ち上げや社内外イベント担当として携わる。2015年8月、フリークアウト・インドネシア支社代表取締役に就任し、現地にてネイティブ広告プラットフォーム事業の立ち上げ〜経営戦略・サービス展開を行う。

 

■「無難に生きろ」が合言葉— 夢も目標もなく中途半端だった25年間

石根:安倉さんがインドネシアに行かれて約1年間、現地で何をしていましたか?

 

安倉:僕の最初のミッションは、インドネシアで現地人によるチームを作り、ローカルチームで永続的にビジネスを完結できる仕組みを作るということでした。そして、その最初の事業として、ネイティブ広告プラットフォーム「Hike」を現地にて展開しています。

この1年は、単身でインドネシアに赴き、会社登記、メンバー採用といった会社の幹を整えて、立ち上げから半年ほどで既にローカルメンバー・ローカルビジネスだけで収益をあげることができており、この4月からは、次のステップへの施策をいくつか仕込んでいるところです。初めて訪れた当時は、英語もほとんど出来なかったのですが、人間追い込まれればどうにかなるなと…(笑)。

 

石根:英語が出来ない中での単身立ち上げとは…。安倉さんは昔からストイックな反面、人気者で輪の中心にいるイメージですが、やはりその魅力はパワフルさにあるのですね。

 

安倉:いえ、全然そんなことないです。僕は、自分のことを相変わらず中途半端な人間だと思っています。今ではそれをポジティブに捉えることができていますが、昔はとても劣等感がありましたし。

 

石根:中途半端?!とても意外な一言ですが、どんな劣等感があったのでしょうか?

 

安倉:僕は、高校教師の祖父、公務員の父という超安定志向の一家に生まれました。我が家のモットーは、「無難に生きろ。失敗しないから」。人より少し器用だったので、中学〜高校ではそこそこ成績が良かったし、何をやっても大体うまくやれるんですけど、そればかり熱狂してやっている人には全然敵わない、という。だけど、そういう人に勝ちたい!と言う気持ちも生まれず、ただ毎日なんとなく過ごしていました。京大入学後も、大学へはほぼ行かず、毎日バスケとバイト三昧、テスト前のみ友達に完璧なノートをもらって徹夜で勉強して単位を取得するという、堕落した生活を送っていたんですね。

 

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石根:普通なら、少し器用なだけでは京大には合格しませんが…(笑)。とても器用貧乏だったんですね。

 

安倉:「みんなと違うことをしたい!」と中学時代は不良グループと行動を共にしたり、高校受験では難関私立高校を蹴って地元の公立高校に行ったりしたこともあったんですよ。高校の入学式は、茶髪私服で臨みました(笑)。でも結局、根が真面目なので、不良にもなりきれず、ただの中途半端な田舎ヤンキーでしたね。その頃からずっと、「無難に生きる」ということに違和感を感じつつも、特にやりたいことが見つからない自分に苛立っていました。

大学卒業後は、多種多様な事業を展開し、やりたいこともない自分を等身大で受け入れてくれるリクルートに入社し、関西圏の企業向けに、人材営業を行っていました。この時は、社内・社外含め、高い志を持つ人間力溢れた方に刺激を受け、2年目までは、営業成績もほぼ毎月達成していました。しかし、3年目からは、一気にモチベーションが下がってしまい、成績も鳴かず飛ばず。足がピタッと止まってしまいました。この時は、仕事から逃げてコンパやパーティばっかやってました(笑)。

 

石根:絵に描いたような、社会人1〜2年目の方が陥りがちな遊び方ですね(笑)

 

安倉:今振り返ると、自分で新しいテーマを設定することができず、過去と同じ目標を追いかけていたと思います。それは成長できませんよね。成果も出ない、でも頑張る気にもなれない・・・そんな状態はしばらく続き、「俺、このまま腐るな。」という危機感が沸いたんです。

そして、自分ではコントロールできないくらい変化の目まぐるしい環境に身を置こうと、当時自分の中では未知なる世界であるメガベンチャー、DeNAに転職したんです。正直、リクルートの人達は大好きでしたし、自分の目線の低さから仕事がつまらなくなっても居心地はとても良かったので、転職しなくてもそれはそれで楽しい人生だったとは思うんですけど、これまでずっと無難に生きてきて熱狂できるものが何もなかった自分を変えたい、という思いが強く、そういった覚悟をもって転職に臨みました。

 

石根:環境によって自分を変えようとしたんですね。DeNAでは、どんな変化がありましたか?

 

安倉:前職の働き方・考え方とは全く真逆でしたね。DeNAはまさに急成長中、その中でも中心事業であるモバゲープラットフォームのアライアンス部門に配属しました。当時はスマートフォンが普及し始めたばかり。ブラウザゲームがいいのかネイディブゲームがいいのか、パズルゲームがヒットするのかRPGがヒットするのか・・・右も左もわからない市場でした。仮説として全て正しく、全ての可能性を試してみないとわからない。とにかく毎日、余裕もなく、次から次へとピンチとチャンスが訪れる日々でした。そして、仮説が正しければ、自分の仕事が形になって売上に直結していくんです。スマホゲームのマーケットを作っているという実感を得る事がとても刺激的でした。

 

石根:全てが自分ごと化されて、目線が上がったんですね。

 

安倉:はい、そしてその頃、チームで働く中で、自分が「こうしたい!」という意見交換をメンバーと取るようになったんですね。当時のスマホ市場は、行く末は誰にも予測ができなかった時期、自分の仮説を説得できなければ人を動かせなかったんですね。自分の考えを伝えるうち、より事業やマーケットに対して当事者意識を持てるようになりました。この時は毎日深夜3時-4時まで、週末もずっと仕事してましたし、国内外でソーシャルゲーム市場を創っていくことにずっと熱狂していました。そして次第に、もっと未開拓市場で、自分がもっと大きな「こうしたい」という未来を実現することに没頭していきたい、と思うようになったんです。

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■市場と組織を創るチャンレジ

石根:DeNAの環境の中で、仕事観が大きく変わったんですね。しかし、なぜそんなにエキサイティングだったDeNAから、事業色も異なるフリークアウトに移ったのですか?

 

安倉:DeNAの仕事は自分の全てをかけるほど楽しかったのですが、スマホゲームはある程度マーケットとして勝ちパターンが確立され始めてくるようになりました。この中で、自分がいる意味は何なのかを考え、より未知なる分野でゼロからマーケットを創る挑戦をしたいと思っていたんです。その時に、たまたま出会ったのが、フリークアウトでした。

 

石根:フリークアウトのどういった部分に魅力を感じたのですか?

 

安倉:まず、巨大成熟市場と思っていた広告が、テクノロジーによって市場構造が大きく変化していることを知ったんですね。テクノロジーによって、既存の広告形態が一気にひっくりかえる可能性がある…そこにロマンを感じました。一方でまだ60名程度の組織で、急成長に伴う組織的な課題も多く、様々の会社の採用支援をしたリクルートでの経験と、急成長組織の変化を中で見てきた DeNA での経験がうまく活かせるのではと思い、フリークアウトに転職することにしました。

 

———-インタビューここまで———-

 

中途半端野郎から脱却し、自分の意思を持ってサバイバルなビジネス経験を積んだ安倉さん。後半は、安倉さんの、フリークアウトでのさらなるサバイバル経験をお届けします。

乞うご期待ください!

 

※取材/石根友理恵

 

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