メールもなかった時代からIT人材教育を仕掛けるデジハリ創業者が考える、IT教育の行方

今やプログラミング教育は身近になり、小学校でのプログラミング教育の必修化などが議論される世の中になりました。しかし、ほんの20年前はメールも存在しなかった時代。そんな時代に、デジタルハリウッド大学(以下デジハリ)は、まさに時代の先駆者としてIT人材育成教育を行いました。そこには一体どのような考えがあるのでしょうか、デジハリ創業者であるすぎた杉山学長に伺いました。dhw-1杉山知之(すぎやま・ともゆき)
東京都生まれ。1987年よりMIT(マサチューセッツ工科大学)メディア・ラボ客員研究員として3年間活動。1994年、デジタルハリウッド株式会社を設立。2004年にデジタルハリウッド大学院、2005年にデジタルハリウッド大学を開学。現在は、同大学大学院、専門スクールの学長を務める。

 

■未来に向けたIT基地の設立

デジタルハリウッド(以下、デジハリ)設立の経緯を教えてください。

MITメディア・ラボでの経験が大きなきっかけでした。僕は大学卒業後助手として大学で研究を続けていたのですが、幸運にもMITメディア・ラボに行ける機会があり、’87年に渡米しました。
MITでの寮生活でまず驚いたのは、相部屋の学生が日常的に電子メールを使っていたことです。今でこそメールは当たり前ですが、当時は日本がまだパソコン通信の時代だったので、環境の差を痛感しました。しかも、彼のメール相手は、海を越えたヨーロッパの大学教授だったのです。若い学生が、コンピュータを扱えるだけで、世界最高峰に当たる頭脳を持つ人と直接やり取りできることに衝撃を受けました。ITにはものすごいチャンスが広がっているのだということを目の当たりにしたのです。

そんな経験や研究を通じ、いずれは文章だけでなく、写真や動画などあらゆるデータをネットで共有し、誰もが場所を選ばず作業できる時代が来ることが見えてきました。そうなった時、ITに強い人間を作り出すための教育が日本でも必要だと感じ、デジハリを立ち上げることにしたのです。

dhw-2開放感あふれる東京本校のオープンスペース

 まだ日本がITに疎かった時代に、立ち上げはスムーズにいったのでしょうか?

新しいことをしようとすると、周りからはバカにされるものです。立ち上げ当初も、周りからはさんざん非難されました。「若い大学の先生が知ったかぶりで出口のない学校を作るのはいかがなものか」と。でも私は、MITでの経験や日々の研究から、出口はあると確信していました。結果的に、最初の卒業生たちは大手ゲーム会社へ就職したり、当時はまだなかった制作会社を起業したりと巣立っていきました。

昔と今で、デジハリの中でも変化したことはありますか?

同世代の中でデジタル格差が生まれ始めたのは苦労している点です。ネットが普及し、意欲さえあれば誰でも独学でデジタルを勉強できるようになりました。つまり、新入生の中には、デジタル初心者もいれば、小学生からPCを触ってきたようなデジタル上級者もいて、初めから差が開いてしまっているのです。1つの教室で同じことを教えるのではなく、一人ひとりに合わせた学校運営が必要な時代になっていると感じます。
一方、最近は主婦・ママ専用クラスの盛り上がりが顕著です。環境に依存せず仕事ができる今、自宅にいる主婦にデジタルスキルの需要が生じるのは当然です。デジハリでは、オンライン受講でなく、各地域に実際の施設(教室)を設けているのですが、それがコミュニティ作りにも貢献しています。コミュニティを作ってチームで仕事をすることで、助け合ったり、個人のスキルに合わせた分業ができる環境もできあがっています。

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卒業したママたちはフリーランスとして自宅で仕事を行うことが多い

 

■アナログありきのデジタル

—小学生のIT・デジタル教育についてはどのようにお考えですか?

デジハリは今は小中学生への教育には参入していませんが、今後、ITやデジタルのスキルは、昔で言う読み書きそろばんと同等になっていくと思います。ITやデジタルを通じて自分を表現できることは、21世紀に生きる社会人の必須スキルです。なので、小学生のプログラミング教育の必修化はいよいよかという気持ちです。しかし同時に、教育の専門家は「教育の本質」に立ち返るべきだとも感じます。プログラミングとは、自ら課題を発見し解決するという行為で、高度な論理的思考を要します。ですが子どもたちは、まだ何かの課題設定ができるほどの経験や当事者意識が養われていません。そんな子どもたちにプログラミングを教えても、結局は課題設定は大人がやることになり、大人が求めていることをやるだけの教育になってしまいます。指示通りものを作れるようになれても、創造性が欠如するというジレンマが生じるのです。

私個人としては、10才頃までは子どもたちにはもっと身体感覚を養ってほしいと思います。PCでなく、紙やペンで絵を描いたり、自分の指でピアノを弾いたりしてほしい。デジタルというのは生のインタラクションの模倣からできています。アナログがあるから、デジタルがある。海を泳いだことがない人に、バーチャルな海を泳がせたところで、何になるでしょうか。本家を知らないで、デジタルの中にリアリティを実感することはできません。デジタルだけを学んでも、何も生まれないと思うのです。子どもたちが何を勉強すべきなのか、改めて本質から考えるべき時がきていると思います。
デジタルを操れる力というのはどの産業界にも必要です。国民全体のIT・デジタルスキルをもっと上げていかなければ、日本の産業の成長や経済の活性化に明るい未来は見えづらい。目指すのは、全体の産業の活性化や新規産業の開拓です。今後もデジハリから、アイデアを活用して世の中に貢献できる人をどんどん生み出していきたいですね。

取材・執筆 / 高田将吾

 

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